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arasaki-sama-profile新崎 香織
1%の可能性を可能にするライフコーチ。夢に描いた人生を引き寄せ、3ヶ月であなたの新しい最高の人生をクリエイトします。スピリチュアル/エグゼクティブライフコーチ。やんちゃな3人の男の子のママ。 ⇒詳しいプロフィールはこちら 
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学校では教えてくれない大事なこと

 
こんにちは。
香織です(^^)
 
 

親の苦行の第一歩

 
先日Facebooでお友達の投稿で、小1入学の算数セットの名前書きで苦労した話を読みました。

すっごくすっごく共感しちゃいました。

私も長男の時は前日に慌ててシールを買いに行き、何度も印刷し直しては(ミリ単位でズレるとアウト).貼る用のピンセットまで買って、夜なべして目をショボショボさせながら、なんでこんな苦行みたいなことをしなくてはいけないのだろうと半泣きでやったのを思い出しました。
 
 
本当にあれは不毛な作業だったと思います。
 
さて、次男の時はどうしたか?というと、大モノだけに名前を貼り、後は「なくしたら買うから大丈夫!」と言って子どもを送り出しました。
 
 
こんなことを書くと、
無くすとモノを大切にする心が育たない!
買えばいいと思うような子になる!
 
とか
 
1人だけ名前を書いてないと先生に怒られるし、仲間外れにされたり、子どもが疎外感を感じるのでは?と思う人もいると思います。

 
 
 
 
 
でも私は親の在り方として、
 
何が本当に大切か
 
ということを親子で考える習慣を持つことと、
 
みんながやるからやる
 
ということに流されない心を持つことを教えたいと思っているからです。
 
 
なぜなら「こうしなきゃいけない」という学校や社会や親に教えられた窮屈な観念に縛られて、身動きできずに苦しんでいる人が私の元に相談に来るのが後を立たないからです。
 
 
 

何が大切か

 
私にとっては時間です。
 
あのミリ単位の小さな枠に名前を書くこと自体が無理なこと、不毛な作業である、というのことにみんな気づいているのに

持ち物に名前を必ず書く”
 
という日本の記名慣習からはずれないように泣きながら(ほぼ母親が)それをやるのです。
 
何のために?
 = 
持ち物をなくさないため
 
であるなら
名前を書くことだけでなく名前を書けないものに対してどうやって持ち物を管理するか?
をもっと建設的に考えるべきだと私は思います。
 
 

頑張った努力が実らない子育て

 
長男の時に学んだのは、男子は名前を書こうが書かまいが、なくす子は果てしなくモノを失くす。
なくさない子は失くさないということ。
 

忘れ物についてもどんなに親が注意してもまるで右から左にスルーして忘れる。
 
 
 
エンピツ、消しゴム、傘、プリント、、
我が息子はどんな親の努力もむなしく、毎度マジシャンのようにモノを消して(忘れて失くす)くれました。
 
 
でも名前を書かない次男は失くさない。
 
私も努力はなんだったんだ…(><)と思いました。
 
 
失くす子に名前を書いてあげたり、忘れるなと口を酸っぱくして言っても無駄であり、あんなに苦労して名前書いたのに!!
という苦労の気持ちが子どもがモノ失くした時の怒りに変わる。
 
 
これらは私のエネルギーを消耗させ、親子関係を悪くする一方でした。
 
 
 
 
 
ならば、なくせば買えば良い、その分稼げばいいのだと開き直った時、私の稼ぎも上がり、ストレスから解放され親子で争わなくなりました。
 
 
 

子育てにとって大事なこと

 
大切なのは何が大事かです。
 
私にとって毎日親子でニコニコ笑い合うことであり、不毛なことにイライラすることなく、それに要する時間を共に楽しく過ごす時間に充てる、こと
 
 
 
 
 
 
みんながするから
学校が言うから
慣習だから
 
ではなく、何故それが大事なのか?を考える力を親も子どもにも養って欲しいと思います。
 
 
 
時間が大事というのは私の考えなので、もちろんその家庭、家庭毎に大事にする考え方があって良いと思います。
 
 
モノを大事にするならそれを
協調性を重んじるならそれを
対面が大事ならそれを
無駄遣いしないというならそれを
人間関係を大事にするならそれを
 

学校が言うから、ではなく

親としてどう在るか、
なぜそれが大事なのか、
どういう考えを子どもに伝えるか
 
ということが大切なのだ思うのです。

 

海外の学校で学んだこと

 

 

マレーシアに移住して子ども達をインターに通わせてると、モノがないとか、名前を書かない(そもそも記名する義務もない)で細かくウダウダ言う先生は全くいません。(連絡帳もありません)
 

そもそも学校の先生がピアスしていたり(男性)、ボディラインがしっかり出るドレスを着ていて教師と思えないほどセクシーだったり、民族衣装を着ていたり(日本でいうと着物で登校する先生みたいな感じ)、そんなことをみたり、子どもたちから聞くと、「へーー!こんなのアリなんだね(^^)!」と話し合って目からウロコがボロボロと落ちていきます。

 
ここで私が言いたいのは、海外の学校が正しくて日本が間違っている、、ということではなく、<常識で当たり前>と思っていたことは、場所が変わればその常識が通用しないことも多々ある、ということなんです。
 

だからその常識に染まらないでいいってこと(嫌な場合ですよ)
 
 

幸せに決まった型はない

 
学校のいう通りにして一生懸命勉強していい成績をとって良い大学、良い会社に入る
 
のが幸せであり、成功である、という道筋はこれからの時代はもう通用しなくなります。
いえ、すでに通用しなくなっています。
 
 
学校が、先生が教えてくれないこと
 
幸せに決まった型はないということ
 
どうしたら幸せになるか
そもそもどう在るのが自分が幸せか
 
 
を考え、見つけることこそが親が教えることであり、また親が我慢したり、苦しむのではなく親自身が幸せである、という背中を見せることが子どもにとって一番の学びであるのではないかと思うのです。
 
 
 
 
 

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