【条件付きの愛】
愛されたい
愛したい
人と愛でつながっていたい
これは誰にもある欲求です。
恐らく人間の究極の欲求ではないでしょうか。
愛とつながっていないと
「自分は愛されていない」
「自分は愛される価値がない」
「ずっと一人ぼっちなのかも」
という寂しさや恐怖が出てきたり
自己肯定感がとても低くなったりします。
さて、「愛」とは何でしょうか?
愛という言葉で連想するのは
男女愛、親子愛、友達愛、ペットに対する愛、信仰愛… 色々ありますね。
中でも親子の愛は、普遍的と言われます。
特に親の子に対する愛は「無償の愛、無条件の愛」 だとよく言われます。
本当にそうでしょうか?
私達は大人になるまでに「条件付きの愛」というものを学びます。
誰から学ぶのでしょうか?
答えは「両親」です。
生まれた時は存在しているだけで両親からも
周りからも全ての人から愛されます。
泣くと抱っこされ、あやされたり、おっぱいを貰ったり
おむつを替えてくれたりと
周りの人達が総出で構ってくれて愛されます。
1歳くらいまでは何をしても
周りはニコニコ。
いつも愛される存在です。
ところが歩き出して自分の力であちこち移動出来るようになり
べちょべちょに汚しながらも手づかみで自分で食べたり
「あ~、まんま、まんま」と単語を発し始め、
自我が芽生えるようになると、、、
親は、特に母親は
「 この子は自分の中から生まれて、まるで分身みたいな存在だったけど
「
どうやら違う人格になってきたらしい」と
寂しさと同時に悟り始めます。
そして「しつけ」が始まります。
「これは危ないからダメ」
「そっちに行っちゃだめ」
「危ないから触っちゃダメ」
「たべものじゃないからお口に入れちゃダメ」
「熱いから触っちゃダメ」
「ばっちいから離れないとダメ」
「ねんねしないとダメ」
ダメ、ダメ、ダメのオンパレードです。
子育てしている親でダメという単語を発しない人はいるでしょうか ?
親は我が子を深く深く、
これ以上の存在はないというくらいに
愛しているからこそ
「守ってあげたい」と思い、
子供が健康でいること
子供が健康でいること
安全で元気でいられること
が何よりも優先するゆえに
<してもいい行動>に焦点を当てる言葉より
<してはいけない行動>に焦点を当てる言葉が多くなるのです。
そして「どのように愛するか?」というより
「どうやって守っていくか?」
「どうやって将来幸せになるように育てていくか?」
「どうやって立派な人間にするか?」
「どうやって人様に迷惑をかけない人間にするか?」
ということに焦点を当ててしまうのです。
子供の幸せを願うからこそ
もっとこうしたらいいのに。。。という欲望が芽生えます。
「この子は内向的だけど外交的になればお友達が増えるのに」
「根はやさしいのに乱暴なところがなくなればいいのに」
「根はやさしいのに乱暴なところがなくなればいいのに」
「のんびり屋さん過ぎる。もっとてきぱき動けばいいのに」
「女の子なんだからもっとおしとやかだといいのに」
「男の子なのにめそめそし過ぎる。もっと強くなって欲しい」
反対に子供の立場からすると
「愛される」以上に望むことはないのです。
ただただ、「愛してほしい」のです。
ただただ、「愛してほしい」のです。
本当は「素のままの自分を愛してほしい」のです。
だから親の言うことを守ろうとし
親の期待通りに生きていこうと思い
「親の言うことを守っていれば愛される。」
「言うことを聞かないと愛されない。」
という「条件付きの愛」を何年もかけて学んでいくのです。
親は〈言うことを聞かない子は愛さない〉
親は〈言うことを聞かない子は愛さない〉
というわけでは決してないのに。
これが大人になって
「何かを行動することで愛される/愛されない」
「何かを行動しないことで愛される/愛されない」
という「愛」に対する概念がずっと継続されます。
「こんなことしたら彼に嫌われるかも?」
「彼女の欲しがっている指輪をプレゼントしたら愛されるかも?」
「こんなこと言ったら嫌がれるかも?」
「こんな自分は愛される資格がないのかも?」
あなたが求めているのは条件付きの愛なのかもしれません。
それとも無条件の愛でしょうか?
あなたは無条件で人を愛していますか?
あなたは無条件で愛されていますか?
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